20年前にわけもわからないまま親などに言われて連帯保証人としてサインをした。
そのようなことは忘れていたが、親が死んでから突然、借金先から返済をするように請求をされた。
このような場合の対応方法について説明をします。
目次
20年前の連帯保証人に関する質問
御世話になります。
今から約20年前、母子家庭で小さな飲食店を経営していた母親が信用保証付きの融資を地元の信用組合から受け、その時に娘のサインが必要と言われ、当時何も分からないまま、連帯保証人にサインしたのですが、今は母親、他の家族とも絶縁状態にあります。
数年前から信用保証協会から私宛に手紙が届くようになりましたので、母親の経済状況に変化があったと推測しております。
一度は、信用保証協会を名乗る人間達が私の家にまで来ました。
他人を装い、追い払うしか術がなく、何とか帰って貰いました。
私は、当時派遣社員、自分の生活だけでも精一杯の状況です。
派遣社員は職を失いやすく、私は転々としている状況です。
ようやく、正社員で新しい仕事に就きましたが、今の住まいは会社の寮。
ここにまで来られたら、せっかくの就業も儘ならないのか、と思うと、夜も眠れず。
自殺に追い込まれるほどに。連帯保証人として、経済能力がないものを付けた信用保証協会に連帯保証人を外れるように弁護士に相談もしてみようか、考えています。
連帯保証人にサインしたのは、19か20歳頃の話。
今は、恐ろしい事をしたという自覚はありますが、当時は何も理解してませんでした。
連帯保証契約、そのものを無効と主張出来る余地はないのでしょうか。
精神的に追い詰められてる状況で手紙はとても独り身で受け入れられず、怖くて一度も中身を見てません。
また、精神的に追い詰められてる状況なので破棄しました。
何か救済方法はないでしょうか。引っ越しても未だに手紙が届く状況なので、そのうち、ここにも来るのか、と思うと発狂しそうです。
契約の無効、もしくは時効の中断の援用も考えてみましたが、手紙が届く限り、難しい事かもしれないです。
住んでいません、と書いてポストに投函しに行った事もありますが、そうするとまた家にまで来られるし。
このような事例はありましたか?よろしくお願いいたします。
信用保証協会は公的機関
まずすでにご承知のこととは思いますが、信用保証協会というのは公的機関です。
この点は安心されてよろしいかと思います。
20年前の連帯保証人に関する対応方法
20年前になった連帯保証人としての責任に対する対応方法としては次の2点が考えられます。
連帯保証人としての責任を否認する
まずは連帯保証人になった覚えはないと連帯保証人としての責任を否認することです。
ポイントしては、
・何も理解しないままに言われるがままに連帯保証人としてサインをしたこと
・借入をした信用組合から連帯保証人としての説明は1つも受けていないこと
の主張からと思います。
連帯保証人としての否認ですが、おそらく20年前に連帯保証人になった経緯について信用組合や信用保証協会にはしっかりとした記録は残されていないと思います。
20年前に連帯保証人になった際に、連帯保証人であることの説明義務は信用保証協会ではなく当時融資を実行した信用組合にあります。
20年前という時代から考えるとかなりの高い確率で信用組合側に連帯保証人の説明に関する記録などは残っていないものと思います。
信用保証協会から連絡を避けるのではなく、正面から連帯保証人としての自覚は20年前にはないし、そもそもそのような説明を受けて納得して20年前に連帯保証人になった覚えはないことをきちんと話をしてください。
こういったケースは世の中にたくさんありますが、裁判をすると高い確率で金融機関側が負けています。
不安であれば弁護士に相談をしても良いでしょう。
連帯保証人であることを認めて少額弁済をする
もう1つの方法は連帯保証人であることを認めて、信用保証協会と話し合いを行い可能な範囲で返済を行うことです。
実際、毎月1万円ずつの返済をされている連帯保証人の方もいらっしゃいます。
20年前の連帯保証人に関するまとめ
以上、20年前に連帯保証人として自覚もないままにサインをして返済を求められた場合の対応方法をまとめますと次のようになります。
まとめ
・連帯保証人であることを認めて少額でも返済をする
質問の経緯からして20年前に連帯保証人になった自覚はない、説明も受けていないことを主張すれば連帯保証人としての責任から解放されると考えられます。